板挟みにあった時に警察官となるか裁判官となるかの話
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最近クライアント同士に摩擦が起きたんです
両方ともうちのクライアントだから結果的に俺が板挟みに陥ったわけですよ
「これどうしてくれんの」みたいな
つまり利益相反が生まれた時に仲介はどうすればいいのかっていう
結果的に双方を説得するような力がこっちにはあったから裁判役みたいなことが強引にできたんだけれど
やっぱクライエント同士が揉める時のリスクの難しさっていうのを改めて体験したよね
なんか同時に思ったのはコミュニティって怖いなと思った
例えばメンバー同士が揉めた時に管理人はどうやって立ち振舞うべきかっていう議論
どちらの味方にもらなきゃいけない難しい利益相反が起きやすい構図でしょ
ある意味匿名掲示板のように完全に無責任で放置するような立場になってるか
被害があったら随時裁判官をやっていくのか
どこまでその揉め事の仲裁に加入するのかっていうポリシーというかスタンスは決めておかないと厳しい
これ似たような議論があってアメリカの小学校と日本の小学校の先生の対応の違いっていう話がある
日本ってクラスの中で生徒同士が喧嘩を始めると先生が間に入って「どっちが悪いの?」っていう裁判役をその場で始めるのよ
アメリカっていうのは喧嘩が起きた時にその喧嘩を一旦は収めるんだけどそれ以上の介入はしないのよ
ある種その警察役なんだよ喧嘩収めるんだけど裁判役やらない
だからこれ原則としてみんな仲良くしましょうっていう日本の理想の形と
アメリカでは仲の悪い者同士が同じコミュニティにいても別に構わないっていう違いが共されてる
これをアメリカの先生に聞いたんだけど
「そんなの世の中見たらみんなそうでしょ」って
ある意味そういうケアの仕方の方が大人の社会に近いんだよね
果たしてみなが仲良くすることというのが大人になっていく経過の中で正しい教育なのかっていうと
嫌なやつだっているよねっていう風に教えていくことの方が大人により近くなっていくような気がしていくんだよね
俺は逆にコミュニティの中に仲悪いもの同士がいる方が自然だと思った
居づらさを感じる人がいたとしてもそれを排除しようとする人ってあまりにもエデンを追いかけてる気がしてる
みんなが永続的に仲がいいなんてありえないわけ
だから居心地の良さとか平和を求めてる段階でその人間の弱さが露呈してるんだよそこに
世の中ストレスだらけなんだから強くならないといけないわけです
だから俺はいらん一言を常に言って相手のどこでキレるのかいらだちをあげていきたい
耳が痛いとか心削られるようなしんどいコミュニティになるのが俺は2.0だと思ってるから